野手のテキトーブログ

普段からテキトーに生きられれば僕たちは無敵だ

自分には才能がないと嘆く前に

こんばんは。野手です。

今回のブログはとある人物のことについて書いていきます。

よろしくお願いします。

 

彼は1890年9月9日にアメリカのインディアナ州で生まれました。父親は彼が6歳のときに亡くなってしまいました。工場で働く母をサポートするために料理を始めた彼は7歳のころには母と弟妹のために焼いたパンが絶賛されるほどの腕前になっていたそうです。父のいない家庭で育った彼は家庭を助けるために10歳から農場で働き始め、鉄道の機関車修理工、ボイラー係、機関助手、保線区員、保険外交員、フェリーボート、タイヤのセールスなど40種もの仕事を転々としたといわれています。14歳で学校を辞め、15歳のときには母の再婚相手に暴力をふるわれ家出をしたこともあるそうです。16歳のときには年齢を詐称し軍隊に入るが、1年で除隊となったというエピソードもあります。

30代後半には初の起業をします。そして40歳のときにガソリンスタンドの経営を始めます。ガソリンスタンドを利用したお客さんから言われた一言から、ガソリンスタンドの一角に物置を改造したレストランをオープンします。1935年、彼が45歳のときには「州の料理への貢献」が評価され、ケンタッキー州知事から名誉称号を与えられます。しかし、49歳のときには店舗が火災に見舞われるなどの災難もあり波乱万丈な人生だったようです。しかし51歳で同規模のレストランを再建し、このころ「オリジナル・フライドチキン」の製法を完成させました。彼は多くの慈善活動も行いました。孤児院の子供のために毎日アイスクリームを提供したり、肢体不自由児のための基金を作ったりしている他、病院や医学研究・教育・ボーイスカウトなどの活動に資金を提供していました。その後、フランチャイズを開始し65歳のときに「ケンタッキー・フライドチキン」のブランドを立ち上げます。

彼の名はカーネル・サンダースことハーランド・デーヴィッド・サンダースです。ケンタッキー・フライドチキンの創業者です。

以後カーネルフランチャイズビジネスの普及に努め、フライドチキンをワゴン車に積み全米中を走り回りレストランなどの厨房でフライドチキンの調理のノウハウを実演しフランチャイズ契約を結ぶための旅に出ます。しかし60代後半のおじいさんの飛び込み営業はなかなかうまくいかず1009回も断られ続けたそうです。しかし、なけなしの年金でガソリンを買い、出費を抑えるために車の後部座席で夜を過ごし、翌朝再び営業に行くという努力が実を結び、74歳のときには600店舗を超えるフランチャイズ網を築き上げました。経営の第一線を退いたもののそれ以降、1980年90歳で亡くなるまでカーネルの製法が守られ続けているかを確認するために世界各国の店舗を見て回ったそうです。

 

「自分に特別な才能があったとは思えない」とカーネルは話しています。

 

僕たちもカーネルを見習い、自分には才能がないと嘆く前に、行動してみよう。行動して学んで反省してとことんやってもうまくいかなかったとき、初めて「自分には才能がなかった」と嘆こう。トライするという気持ちを大事に生きていこう。

 

 

おしまい