野手のテキトーブログ

普段からテキトーに生きられれば僕たちは無敵だ

親になれる気がまじでしない

こんばんは。野手です。毎日寒い日が続きますね。風邪などひかないようお体ご自愛ください。

 

私事ですが1ヶ月ほど前から名古屋市で一人暮らしを始めました。実家から名古屋へは車で1時間ちょいくらい(下道)の距離です。40キロくらいです。一人暮らしを始めたのですが、1時間ちょっとハンドルを握れば実家へ帰ることができる距離なので毎週末実家へ帰っています。地元に帰り、地元の友人と麻雀を打ち、家で母親が作ってくれる僕にとっては世界一おいしい晩ご飯を食べてまた名古屋へ帰ってくるわけです。

母が作る料理は僕にとっては川越シェフが作るパスタよりも周富徳が作る中華料理よりもおいしいわけです。(みんな、母親の作る料理はそれくらい好きですよね?)最高なわけです。至高なわけです。

日曜日の夜、その世界一おいしい料理を食べ終え(また明日から仕事かあ...)と少し憂鬱な気分で名古屋へ帰ろうとするとき、毎度毎度両親が優しさを爆発させてくるのです。

「次はいつ帰ってくるの?来週?」

「気をつけてね~」

「体調崩さないようにね」

「これ持っていきな」

といった具合に、優しさを大爆発させてくるのです。

ポケモンゴローニャばりのだいばくはつ▼

 

 

(帰りたくねぇえよおおぉお!!!!)

と毎週思うわけです。マジでひとり暮らしの家に帰りたくねえ。ずっと実家にいたいと思ってしまうわけです。まあ帰るのですが。

 

どうして親という存在はあれほどまでに偉大で、自分の子供に無償の愛を捧ぐことができるのでしょうか。「親だから」でしょうか。

この世には自分たちの愛の結晶である子供を殺めてしまう親もいますが、ほとんどの親は自分の子供を溺愛し愛を捧ぎ続けるじゃないですか。すごすぎません?偉大すぎませんか?親。多くの親が当然のことのように自分の子供を愛でまくっていますが、はちゃめちゃにすごいことだと思うんです。

僕は人の親になったことがありません。なので親の気持ちはまだよくわかりません。ですが、24歳の僕が今思うことは自分がいつか結婚してこどもを授かり親になったとき、両親のような親になれる気がしないということ、でも両親のような優しい親になりたいということです。

今はお付き合いしている彼女もおらず、結婚となるとまだだいぶ先の話になると思います。いつか結婚するときには経済的にも精神的にも親になるにふさわしい男になれているのかなと少し不安に感じたりもします。

同級生や年下でも既に結婚していて子供がいる知り合いが何人かいます。

心の底から(まじですごいな)と感じます。

自分と同い年なのにもう親になっているのかよ、すごいなと。

 

僕もいつか結婚して子供から尊敬される父親になれますように。

 

 

おしまい