2020年が終わるまでの目標
2020年が終わるまでに達成したい大きな目標が一つあります。
「将来、物書きになるための目処をつける」ということです。
2020年が終わるまでというと期間はおおよそ2年です。
2年で物書きになるためのある程度の目処をつけることは容易なことではないと思います。しかし、将来物書きとして食っていきたいと思っています。そのための修行期間だと思いこの目標をたてました。
2020年までという期限を設けた意味はあまりないのですが、強いて言うなら期限を設けないと文章を書くこと、文章に触れることをおざなりにしてしまいそうだと感じるからです。
大学2年生のころから本を読むようになって、ブログも開設して文章やコピーの奥深さ、おもしろさにハマっていきました。
今でもその熱は冷めることはなく、こうして拙い文章ではありますが書いています。
おもしろいブログや為になる文章が無料でほぼ無限に読める現代の世で、このブログを読んでくれている方々(ほとんど友人)、マジでありがとうございます。
「ライター」や「小説家」という言葉を使わずに「物書き」と表現しているには理由があります。単純にまだ自分が何を主に書きたいかが定まっていないからです。
今は文章を書く機会はこのブログだけで、日々感じていることを書いていますがそれ以外にも小説も書いてみたいしコピーも考えてみたいです。いろいろな文章を書いてみたいです。そのためのインタビューや取材もしてみたいです。
完全に余談ですが好きな小説家は山崎ナオコーラ先生と三浦しをん先生です。
「物書き」というと企業に属さずにフリーランスで活動しているイメージがあるかもしれません。僕もそういうイメージを持っています。
ですが今のところフリーかそうでないかのこだわりはなく、とにかく文章を書くことを仕事にしたいという思いが強いです。
物書きを目指している身の中では文章力や表現力が乏しいことは重々承知しています。
でも、夢なんです。
いつか物書きとして文章を書いてたくさんの人に読んでもらいたいんです。
今は長い文章も書けなく平凡な表現しかできないですが、たくさん本と他人のブログを読み、このブログも更新して魅力的な文章を書けるようになります。約束します。
そのために今まで経験できなかったことを経験するチャンスがあれば積極的に飛びついて、人生の経験値を稼いでいきたいと思っています。
どのようになったら物書きになるための目処がついたと言えるのか正直全然わかりませんが、物書きになりたいのだからとりあえず文章を書き続けていこうと思います。下手でも稚拙でもとりあえず書き続けていくことが夢を叶えるための最善の道だと信じています。
そして「仕事で疲れているから」「忙しくて時間がないから」という理由でやりたいことを蔑ろにする男はダサいと思っているので、それを言い訳にして書くことを怠らないように気を付けます。
今後も野手のテキトーブログをよろしくお願いします。
おしまい
親になれる気がまじでしない
こんばんは。野手です。毎日寒い日が続きますね。風邪などひかないようお体ご自愛ください。
私事ですが1ヶ月ほど前から名古屋市で一人暮らしを始めました。実家から名古屋へは車で1時間ちょいくらい(下道)の距離です。40キロくらいです。一人暮らしを始めたのですが、1時間ちょっとハンドルを握れば実家へ帰ることができる距離なので毎週末実家へ帰っています。地元に帰り、地元の友人と麻雀を打ち、家で母親が作ってくれる僕にとっては世界一おいしい晩ご飯を食べてまた名古屋へ帰ってくるわけです。
母が作る料理は僕にとっては川越シェフが作るパスタよりも周富徳が作る中華料理よりもおいしいわけです。(みんな、母親の作る料理はそれくらい好きですよね?)最高なわけです。至高なわけです。
日曜日の夜、その世界一おいしい料理を食べ終え(また明日から仕事かあ...)と少し憂鬱な気分で名古屋へ帰ろうとするとき、毎度毎度両親が優しさを爆発させてくるのです。
「次はいつ帰ってくるの?来週?」
「気をつけてね~」
「体調崩さないようにね」
「これ持っていきな」
といった具合に、優しさを大爆発させてくるのです。
(帰りたくねぇえよおおぉお!!!!)
と毎週思うわけです。マジでひとり暮らしの家に帰りたくねえ。ずっと実家にいたいと思ってしまうわけです。まあ帰るのですが。
どうして親という存在はあれほどまでに偉大で、自分の子供に無償の愛を捧ぐことができるのでしょうか。「親だから」でしょうか。
この世には自分たちの愛の結晶である子供を殺めてしまう親もいますが、ほとんどの親は自分の子供を溺愛し愛を捧ぎ続けるじゃないですか。すごすぎません?偉大すぎませんか?親。多くの親が当然のことのように自分の子供を愛でまくっていますが、はちゃめちゃにすごいことだと思うんです。
僕は人の親になったことがありません。なので親の気持ちはまだよくわかりません。ですが、24歳の僕が今思うことは自分がいつか結婚してこどもを授かり親になったとき、両親のような親になれる気がしないということ、でも両親のような優しい親になりたいということです。
今はお付き合いしている彼女もおらず、結婚となるとまだだいぶ先の話になると思います。いつか結婚するときには経済的にも精神的にも親になるにふさわしい男になれているのかなと少し不安に感じたりもします。
同級生や年下でも既に結婚していて子供がいる知り合いが何人かいます。
心の底から(まじですごいな)と感じます。
自分と同い年なのにもう親になっているのかよ、すごいなと。
僕もいつか結婚して子供から尊敬される父親になれますように。
おしまい
顔がかっこいいだけの男になりたくない
顔がかっこいいだけの男になりたくないのです。
野手です。
僕は顔がかっこいいです。そこそこかっこいいです。
僕のことを知っている方で僕のことをかっこよくないと思う方がいることはもちろん承知ですが今回のブログは僕の顔面がかっこいいと仮定して書きます。
冒頭から「え?お前なに言ってんの??ばかなの?死ねば?」という声が聞こえてきそうなことを書いてしまいましたが僕は自分自身の顔面を中の上または上の下くらいだと思っています。これまで24年間生きてきた中でそれなりに女の子とお付き合いをしセックスをしてきました。「女の子にモテてきた人生」ではないですが「少しは女の子にモテてきた人生」ではあるかもしれません。
小栗旬さんに似ていると言ってもらえることが稀にあります。ファンの方には本当に申し訳ないですし、自分では思っていないです。思ったことは一度もないです。「マジのばかじゃん。死ねよ。ほら、早く死ねよ!!」と言われるかもしれません。でもそうやって言ってもらえるとやっぱりうれしいわけです。死ぬほどうれしいわけです。
そこで僕が思うことは顔がかっこいいだけの男になりたくないということです。顔がかっこいいだけの男にはなりたくないのです、絶対に。いるじゃないですか。顔がかっこいいだけのクソおもしろくない男。あれになりたくないのです。
顔がかっこよくて性格も特に難がないけれどまったくおもしろくない男、おもしろいことも言わないし人間的にもおもしろくない男になりたくないんです。
男に限った話ではなく、人間は少しくらいネジが外れていてぶっとんでいる人間のほうがおもしろいし魅力的だと思っています。
だってめちゃくちゃ顔がかっこいい男がすごく変わったやつで個性まみれの人間だとしたらクソ魅力的じゃないですか?そうですよね?
クレイジーでどんなときでもユーモアを忘れない人間は魅力的です。窮地に追い込まれたときでもユーモアを忘れない大人はかっこいいです。
前職で尊敬できる好きな同期(男)がいました。そいつは「男は女を笑わせてナンボ。笑わせないとつまらない男と思われてしまう」と言っていました。彼の言う通りです。男は女の子を笑わせてナンボ。女の子を楽しませてナンボ。
かっこよくて性格がいい男でも「イケメンだし優しいんだけど、なんか、、刺激がないんだよね.........」と女の子に思われてしまってはダメです。男に生まれてきたからには好きになった女の子のことは笑わせたいです。
僕は顔がかっこいいだけの男にはなりません。顔もかっこいい男になります。
そして、金輪際!絶対に!二度と!!!!
顔がかわいいだけの女には惚れないと誓います。
おしまい
なんだ、これからじゃねえか
ちょっとまあいろいろとありまして、自分なりに落胆していたのですが、なんだ俺はまだ24歳じゃないか。これからじゃないか。なにしょげてんだよ。まだまだじゃないか。俺の人生、まだまだこれからじゃないか。全然絶望なんて知らないじゃん。守らないといけない人も地位もお金もなにも持っていないじゃないか。結婚してないし、仕事が嫌なら変えればいいし、一人になりたいのなら誰も自分のことを知らない場所に行けばいいだけじゃん。ばかかよ。縛られずにいこうぜ。
そもそも人生なんて自殺する意味もないくらいのものじゃないか。何かを失ったとしても、それは何も失ってないんだ。初めからなかったのと同じことだ。
自分の好きに生きてよいということを何度も何度も何度も忘れてしまうな。
長くてもどうせ数十年の遊びだからな、気張らずにいけばいいさ。
どうせ老いたらいい思い出になるんだろ。腐らず緩くいこうぜ。
この人生に無駄なものなどないのです
傷跡も嘘も後悔もあなたの体の一部になっています
誰かの為になにかをする必要はないのです
自分のために生きなさい
無理をする必要もないのですよ
どんなときも卑屈になってはいけない
君は犠牲者じゃないのだから
Hawaiian6さん、ありがとうございます
2019年 目標
こんばんは。野手です。
2019年が明けましたね。あけましておめでとうございます。今年も野手のテキトーブログを何卒よろしくお願いします。
昨年同様、今年も今年の目標を書いていきます。よろしくお願いします。
①怪我、病気に罹らない
毎年の一番の目標。一昨年は虫垂炎に罹ってしまいました。昨年も年末に発熱してしまいました。今年は何事もなく健康に1年間過ごしたいです。人間は体が資本!と言っていますが年末からの風邪が長引いていて咳が止まらないのです。。。
②遊びの約束に遅刻しない
再三言っている大事なことです。仕事ならともかく遊びならまだ遅刻してもいいだろ、と考える人もいると思います。僕はそうは思いません。ダメです。遅刻しません。寝不足でも好きな遊びのために活動します。特に大好きな麻雀には遅刻しませんように。
③仕事を辞めない
昨年の目標でもあった会社を辞めないというもの。2018年は達成できなかったです。昨年の11月に3社目の会社に入社しましたので今度こそは勢いや一時的な気持ちの変化で辞めないように。
④貯金をする
つい最近一人暮らしを始めました。お金が全然ありません。3ヶ月ほど無職として過ごし、一人暮らしを始めましたのでお金が全然ありません。笑ってしまうくらいにお金がありません。車のローンも払わないといけません。お金が全然ありません。今年の年末に貯金がどれだけ貯まっているのか楽しみに労働していきます。
⑤本を読む
読書が好きです。しかし読み始めるまでに時間がかかってしまいます。読み始めたら集中して読むことができるんですけどね。今年は30冊本を読むことを目標にします。
⑥ブログの更新頻度をあげる
昨年よりもたくさんの記事を書いていきたいです。30本記事を書くことを目標にします。さらに内容もおもしろい記事を書きたいです。
⑦部屋を彩る
昨年末に一人暮らしを始めたのですがまだ部屋が閑散としています。年末までにはおしゃれな部屋にできているといいな。
⑧筋トレを怠らない
昨年の後半から筋トレに励んでいるのですが、なかなか毎日することができません。毎日ではないにしても夏までにはある程度筋肉を付けて肉体美を披露するんだ。
⑨寝すぎない
平日になるべくたくさん睡眠をとり休日は早く起き、時間を有意義に使う。
⑩麻雀強くなる
麻雀で負けると本当に悔しい。運の要素が強いゲームなのでもちろん負ける日もあるが勝率を上げたい。
以上。
2019年、仕事も遊びも飛躍の年になりますように。
おしまい
2018年総括
こんばんは。野手です。
早いもので今年も残りわずかになりましたね。年の瀬です。年の瀬が好きです。年末が大好きです。年末にしか味わうことができない特別感、街のそわそわした感じが好きです。今年も無事に年末を迎えることができうれしく思います。今年も終わるということで2018年の僕の生活の総括を書いていきます。よろしくお願いします。
今年の年始に書いた2018年の目標を記した記事に沿って書いていきます。
まず、毎年一番の目標にしている大きな怪我・病気をしないというもの、今年は無事に達成できました。この目標がクリアできただけで80点はあげられる。ひとまず合格。健康な体はめちゃくちゃ大事。
読書をしたりブログを読んだり書いたりするという点もそれなりに達成できたと思います。おもしろい本も読むことができましたし、おもしろいブログもたくさん見ました。
しかし、上司・先輩に怒られたり注意されてもへらへらして気にしないという目標は達成できなかったです。相変わらず怒られたら凹みますし、注意されたら元気がなくなってしまいます。「へらへらできる」というものは一種の才能なのだと思います。天性の才能なのだと思います。才能がない人間はどうすればいいのか。努力あるのみですよね。来年は、怒られたり嫌なことがあっても気にしないように努力をしていきたいです。
自分への投資、軽いフットワーク、歯のホワイトニングはできませんでした。やりたいこと、やろうと思っていることは、すぐに行動しよう。やがて「やりたい」という感情もどこかへ消え去ってしまう。
そして9月末には仕事も辞めてしまいました。とりあえず2018年は仕事を続けるということも目標にしていたが達成できませんでした。勢いだけで行動することはあまりよくないことのようだな。
僕は良い意味でテキトーな人間になりたいと日頃から思っています。
今年もまた一歩、僕が理想としているテキトー人間に近づくことができたのかな、どうなんだろうとこの記事を書きながら思います。
という下書きを残していたのですが12月29日に38.3度の熱を出してしまい死亡。
また年末に体調崩すのかよ!
おしまい
箱根駅伝が好き
野手です。
箱根駅伝が好きです。
毎年1月2.3日にある駅伝の大会です。
どうして好きなのかと聞かれてもうまく答えることができないのですが好きなんです。
中3の頃だったと思います。家族で正月に箱根に旅行に行きました。正月に箱根に行くということは当然箱根駅伝を見るわけです。初めて生で箱根駅伝を見ました。それまではテレビの中継でしか見たことがなかった箱根駅伝ですが、生で見るとまぁかっこいいんです。猛スピードで選手達が自分の前を駆け抜けていくんです。箱根駅伝が一気に好きになりましたよね。
中3のときに箱根駅伝を見てその数か月後に受験した高校の面接があったのですがその際に「夢はなにかありますか?」と聞かれ
「箱根駅伝に出たいです」と答えました。影響されまくっていたので。
「陸上やっていたんですか?」と聞かれたので
「やったことないです!」と意気揚々と答えたら面接官の先生たちは全員白眼を剝いていました。
そして野球部に入部しました。どないやねん。
箱根駅伝まであと3日。今回も楽しみ!!
来世、大学までスポーツをやるのなら陸上という競技を選択して関東の大学に進学して箱根駅伝で走ることを目指します。
おしまい
カフェやファミレスでスマホをイジっている姿はかっこよくないのにノートパソコンをイジっている姿はかっこよく見える
こんばんは。野手です。
ある程度賛同を得られると思うのですが、喫茶店でスマホをイジっている姿はかっこよくないですが、ノートパソコンをイジっている姿はかっこよくないですか?
あれ、どうしてなんですかね。きっと、スマホは娯楽のためだったり暇つぶしに利用されるものであるけれどパソコンはそうではなくなにか作業するためのものという認識があるからではないでしょうか。パソコンも娯楽のためのものでもあるけれど。
実際「スマホ依存症」という言葉はあっても「パソコン依存症」という言葉はないじゃないですか。もしも僕が知らないだけでそういう言葉があるのならすみません。
喫茶店でパソコンをイジっている姿はかっこいい。今、新宿のマクドナルドでこのブログを書いているのですが、絶対にかっこよく見えているはずです。だってノートパソコンで書いているのですから。もしこれを今僕がスマホで書いていても一切かっこよくありません。パソコンで書いていることに意義があるのです。これをスターバックスで書いていたらさらにかっこいい。でもスタバでパソコンでブログを書く勇気は僕にはない。(絶対あいつかっこいいと思われたくてココでパソコン使ってるやん)と思われたくないからです。人の目を気にしてしまうのです。だっせーーー。
おしまい
勝手に胃袋を掴まれてしまった話
こんばんは。野手です。
みなさん、食事が好きですか?僕は好きです。食べるという行為が大好きです。
先日、とある女の子の手料理を食べる機会がありました。その女の子は肉じゃがを作ってくれました。お腹が空いていた僕は勢いよく頂きました。その肉じゃがの味がね......
めちゃくちゃおいしいんです。
僕はそのときお腹が空いていました。加えて僕は肉じゃがが好きです。しかし、それを差し引いても「あの肉じゃが」はおいしかった。無理に褒めようと思ったわけではなく心の底から「いや、うまぁ!!」と満面の笑みでその女の子に伝えていました、何度も。それくらいおいしかったです。
男はいつまでたってもマザコンです。ほとんどの男性はどれだけ年齢を重ねても母親のことが好きです。当然、母親の料理も好きです。母親の料理を超える料理はこの世にはないとさえ思っています。きっと多くの男子がそうです。結婚してからも奥さんに「こういうふうに作ってくれ」と母親の味を再現させようとします。そういうもんなんです。僕も母親の料理が好きです。母親が作る肉じゃが、もちろん好きです。(マイマザー、この肉じゃが最高だね。おいしいよ。最高だよ。)と思いながら食べています。しかし、その女の子が作ってくれた肉じゃがは、母親が長年僕に作ってくれていた肉じゃがに負けず劣らずの味でした。24年間僕に肉じゃがを作ってくれていた母親。その肉じゃがのレベルの高さの位置まで一瞬にして追いついてきました。そう表現しても良いくらいおいしかった。僕がこれから言う「肉じゃが食べたい」は普通の「肉じゃが食べたい」ではないです。僕が今後言う「肉じゃが食べたい」は「あの肉じゃが食べたい」です。もうテキトーな定食屋の肉じゃがを食べることができない。最高峰の肉じゃがを知ってしまったから。
「男を落とすためには胃袋を掴め」って昔からよく言うじゃないですか。その言葉、本当だったんですね。23年間生きてきてようやく身をもって理解できました。初めて(胃袋を掴まれてしまった!)と思いました。この女の子と結婚したら毎日こんなにおいしい料理を食べられるのかと思うと頬がゆるんでしまい、笑みを押し殺すのが大変でした。まぁその女の子は僕を落とすために料理を振る舞ってくれたわけではないことは重々承知なんですけどね。僕が勝手に胃袋を掴まれたというだけの話です。
おしまい
日暮里の公園の公衆トイレでうんこをしたら紙がなかった
生きていて一番絶望する瞬間なのではないでしょうか。
人生で一番絶望する瞬間は、トイレに駆け込みなんとか間に合いうんこをした後にトイレットペーパーがないことがわかったときなのかもしれません。
こんばんは。野手です。
先日、会社の先輩と営業の同行をしており休憩時間に公園の公衆トイレに行きました。僕が公園のベンチからトイレに行く途中に警備員のおっさんが先にトイレに入るのが見えました。(ふざけんな!絶対に大はやめろよ…!)と念を込めたことが幸いし、おっさんはおしっこをしていました。急いで個室に入りズボンとパンツを下ろしうんこをして、拭こうとしたら気付いてしまったのです。紙がないことに。紙がない。ない。紙が。本来あるはずのそこに、紙が、ない。紙がなああああああおあい!ええええええええ。どうしよう、どうしよう。どうすればいんだ。ポケットティッシュなんてこちとら持ってないんだよ。
一か八かで個室の扉を少し開けたらいるのです。先ほど僕より先にトイレに入った警備員のおっさんがいるのです。小便をしているのです。いや小便長すぎるだろ。どんだけ小便してるんだよ。
「すみません、、、」
返答なし。
「すいません!!!!!!!!!!!!!!」
警備員のおっさん「!!!!!!??」(こちらを振り返る)
「紙とかって........あります?」
「...ここにはないけど、あっちの障害者用トイレならあるかも。ちょっと見てくるね」
15秒後
コンコン
警備員のおっさん「はいよ」
ありがとう警備員のおっさん!マジでありがとう!恩人や!!さっきは(ふざけんな)なんて思ってゴメンな!しばらくはこの恩忘れないからな!
これからは常にポケットティッシュを持ち歩こうと決意を決めた出来事でした。
おしまい